株式会社クラウドファンディング総合研究所 所長 板越氏の人生から学ぶ、未来の自分を形づくる経験の大切さ【前編】

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「欲しがられる人材になりたい人が集まるプラットフォーム」である、『PILES GARAGE』。企業を”個”の力で支える、「杭(PILES)」のような人材を育てる「場所(GARAGE)」として、「欲しがられる人材」とはどのような人材であるのか、様々な人のお話を聞くことで改めて考えてみようと立ち上げたこの対談企画。

 

今回は、株式会社クラウドファンディング総合研究所 所長の板越 ジョージ氏にお話を伺いました。株式会社クラウドファンディング総合研究所は、日本初のクラウドファンディング専門の研究・調査及びコンサルティング会社です。クラウドファンディングを通して一人でも多くの方が、自己実現ができるように支援活動をしていきたいという思いを持って活動をしておられます。また、著書に「クラウドファンディングでおトク生活」「日本人のためのクラウドファンディング入門」「クラウドファンディングで夢をかなえる本」「結局、日本のアニメ・マンガは儲かっているのか?」「アニメ・グローバル競争戦略再考」等があります。

 

今回はいつもの対談企画とは趣向を少し変えて所長の板越氏に、これまでの人生経験を幼少期から語って頂きました。経営者の息子に生まれるも、借金取りに連れていかれるような辛い幼少期を過ごし、中学時代にはジャニーズ事務所に入り光り輝く世界を体験。その後は事務所を退社し、学生生活を謳歌。20歳を過ぎてからは海外の様々な国、特に国際情勢が荒れている国を中心に周り、サバイバルに生きてこられた板越氏。そんな板越氏の人生経験を聞き、人生の疑似体験をすることであなたの人生のヒントになればと思います。それでは、インタビューをお楽しみください。

 

以下

板越:株式会社クラウドファンディング総合研究所 所長 板越 ジョージ

柴田:株式会社mannaka 代表取締役 柴田 雄平

 

幼少期:過酷な環境だったからこそ、自立していた

板越

僕の生まれは東京葛飾区、下町です。実家は、産業廃棄物処理業を営んでいて、父はちり紙交換のようなことから事業をスタートしたと聞いています。当時は、紙が高くて貴重な時代だったから、トラックにダンボールなんかを積んでおくと盗まれちゃうような時代だったんですよね。父は30代で一軒家を買い、クラウンを乗り回すという、昔の起業家のサクセスみたいなことをやってのけたんですけど、その後あっという間にサクセスは崩壊。家は取られ、月末になると電気が止められたりしていました。挙げ句の果てには、父の借金のせいで、僕は借金取りに連れて行かれたりしたなんてこともあったんですよ。家庭は結構荒れていて、子どもの頃に両親が喧嘩しているところをしょっちゅう見ていたし、両親は結局離婚してしまったんです。

 

あまり話したことがないエピソードなのですが、僕は6歳の時に3歳の妹をかばってタクシーにひかれてしまったことがありました。今じゃあ、6歳と3歳の子どもが手を繋いで外を歩いているなんてなかなか考えられないですよね。その事故の後遺症が結構重たくて、僕は1年ぐらいは幼稚園に行けず入院していたんです。リハビリはすごく辛くて毎日泣いていたし、ブラックジャックみたいな跡が残ってしまって、子どもの頃はそれがすごいコンプレックスでした。ちゃんと歩けず、びっこを引いて歩いていたし、みんなが半ズボンを履いているのに、自分は傷を隠すためにずっと長ズボンを履いていました。

 

そして小学校3年生の時から、父はほぼ家に帰ってこず、母も育児放棄気味だったので、僕は夜に一人でフラフラと後楽園に野球を観に行ったり、近所の友達の家に泊まりに行ったり、小学校6年生ぐらいまでまともに家に帰っていませんでしたね。母の手料理を食べた記憶はほとんどなくて、僕と同じような環境の友達と一緒にご飯を作り、一緒に銭湯に行ったりしていたんですよ。おかげで、家庭科の授業の時に、ご飯を作ったり裁縫したりするのは当たり前にできて、逆に周りのみんなができなくてすごくビックリしたのを覚えています。りんごの皮も上手に剥けたし、親が作ってくれないから雑巾も自分で縫って作ったし、小学生の頃からなんでも出来たんですよ。

 

今思えば、そんな過去があったから、子どもの頃から僕はすごく自立していて、小学3年生で電車に乗ってどこへでも行ったし、お金もないからどうすれば大人の人にご飯を奢ってもらえるかとか、どうやって甘えればいいかという処世術、世渡りの仕方を学んだんですよね。その時から、僕の世の中の見方は「どうしてみんなは自分のように出来ないんだろう?」とか「世の中っておかしいな」だったんです。そんな幼少期を過ごしました。

 

 

中学時代:ジャニーズに入り、まぶしい光の世界に

板越

ある日、一緒に遊んでいた友達の一人が突然「ジャニーズに入りたい」と言い出しました。その頃、ちょうどトシちゃんとかマッチとかが出始めたぐらいの時だったと思います。それから、とりあえず入ろうということになったのですが、ジャニーズに入るためには、原宿を歩いていてスカウトされるか履歴書を出すかのどちらかだったので、僕は小学校6年生にして、履歴書を書き、写真と一緒にジャニーズ事務所に送ったんです。今思うと、小学校6年生で履歴書って…って感じですよね(苦笑)

 

それから中学校に入ると、すぐにジャニーさんから電話がかかってきて面接に行くことになりました。面接会場に着くと、同じぐらいの年齢の男の子が30人ぐらいいて、当時トシちゃんのバックで踊っていたダンスの先生に言われ、見よう見まねで生まれて初めてのダンスをすることになりました。その後、ジャニーさんと面接をしたら「you、来週来れる?」って聞かれて、そのまま訳が分からないうちにジャニーズ事務所に入ることになったという流れです。

 

その翌週にもオーディションがあって、光GENJIの大沢樹生が入ってきたりして。その頃のジャニーズはまだ20〜30人ぐらいしかいませんでした。当時レッスンをするところが六本木のテレ朝で、毎週土曜日にジャニーさんの家の合宿所に泊まり、次の日も朝からレッスンをしてという生活をしていたのが、僕の中学生時代です。それまでの人生とは一転、ガラッと変わってしまい「世の中は頑張ればこんなに明るい世界があるんだ」と思いましたね。ちょっとした笑い話ですが、ジャニーさんの合宿所で「お腹すいた」って言うと1万円をくれてマクドナルドか吉野家に行こうって言うんです。どうやったら使い切れるんだ⁉️ って思いましたよね(笑) 黒塗りの大きなベンツに乗ったりしながら、中学3年間はずっと芸能活動をしていました。

 

実は子どもの頃、事前に周りには言っていなかったんですけど、中学2年生の時に日テレの30周年記念で、西田敏行さん主役のミュージカルドラマの番宣で24時間テレビに出たんです。それで僕がジャニーズにいることがバレてしまい、地元を歩いていると「テレビ観たよ」なんて言われるようになりました。それまでは、どうにも自分に自信を持てないようなところがありましたが、ジャニーズに入ってから自信がつき、人生がだいぶ変わったなと思います。ジャニーズに入って、有名人とそうでない人の違いはすごく感じましたし、言えること言えないことというのも出てきました。人に見られている感覚もあり、女の先輩たちにはキャーキャー言われて学校ではモテモテだったけど、男の先輩たちからは虐められていましたね。

 

 

高校時代:漫画に出てきそうな高校生活を謳歌

板越

それから、中学3年生の時にいよいよ高校生になったらデビューするのかなというタイミングになりました。でも僕はそこでジャニーズを辞めてしまったんですよね。この辺りのことは「僕がジャニーズを辞めたわけ」という長いインタビューがYahoo!ニュースに書いてあるんですが、簡単に言うと、自分はアイドルになったら使われる立場になると思ったんですよね。そうではなくて自分は人を使う側の立場になりたいなと思ったんです。芸能界って、プロデューサーの一言によって全てがガラッと変わってしまったりするんですよ。ポジションも1つしかないですし、それが嫌だと思いました。芸能活動をして、キャーキャーされたし、お金ももらえたし、これ以上やっても自由がなくなるだけだから、普通の生活をしたいと思ったんですよ。

 

となると、僕は高校に行くためにきちんと勉強をしないといけませんでした。それまでの中学3年間は全くといっていいほど勉強をしておらず、小学校の時も非行少年みたいなものだったので。受験までラスト1ヶ月で都立の普通科に行くために思いっきり勉強をしました。それでなんとか都立の普通科には入ることができたんです。

 

それからの高校3年間は漫画に出てきそうな高校生活を謳歌して、ほとんど勉強せず遊びまくりました。バンドではドラムを叩き、サーフィンをやり、バイクに乗り。超青春でしたね。学校に行って授業が始まると、友達と「おやすみー」と言って寝ていました。バイトをしていたり、朝までバイクに乗っていたりしたからです。でもただの馬鹿だとも思われたくなかったので、日本史と世界史だけは勉強して、日本史だけは学年で1位、世界史もクラスで1位でした。理系科目と英語は大嫌いだったのでいつも大体8点ぐらいでしたね(苦笑)

 

 

浪人時代:校長に認められるほど、ストイックに勉強をした

板越

あっという間に高校3年生になり、流石にこのままでは自分はダメになると思いました。ジャニーズにいた時のような、輝く世界に行きたいと思い、一流の大学を目指し、受験までの3ヶ月間勉強しましたが見事に落ちました。それから、1年間だけ浪人することにして、思いっきり勉強したんですが、でもやっぱり合格できなかったんですよね。でも僕はストイックなので、浪人時代は一日8時間〜12時間ぶっ続けで勉強をしていました。

 

浪人時代のエピソードとしては、僕は神田にある予備校に通っていて、月曜日から土曜日まで毎朝9時に行き、8席しかない図書室の席をとり、朝早くから夜遅くまでずっと勉強をしていました。結局、大学に落ちてしまったのですが、予備校最後の日になぜか校長に呼び出されたんです。「何だろう?」と思ったら、なんと親が1年間お金を払ってくれていなかったようで…でも校長が「君はすごく努力していたから、もういいよ」と言ってくれて授業料を払わないで勘弁してくれたんですよね。

 

ものすごく努力した自負はあったので、きっと日本の大学とは縁がなかったんだろうと思いました。でも、ジャニーズで一度明るい世界を見てきて、やっぱり日本だったら早稲田とかぐらいには行かないと同じぐらいの光の強さは無理だと思ったので、じゃあもうアメリカに行くしかないなと思ったわけなんです。でもアメリカに行こうにも親はお金を出してくれないし、お金がなかったから自分で働いて稼がないといけない。行くならすぐにでも行きたかったので、結局3ヶ月間だけ働いてアメリカに行くことにしました。この時、ホストクラブで働くことも選択肢にあったのですが、新宿2丁目に面接に行ったら恐ろしい人が出てきて「男を抱けるか?」と聞かれ、怖くて逃げ、結局バイク急便で働くことにしました…

 

 

20歳:アメリカでサバイバルな生活を送る

板越

それから2ヶ月半で100万円を貯め、そのお金を握りしめ、とうとうアメリカに行くことになりました。でもアメリカに行っても当然英語なんて喋れないし、コネもお金もない。初めて行く海外だったから、何も分からず、空港で紙袋を預けたというおかしなエピソードもあります(苦笑) 僕はノースカロライナ州のシャーロットというところに行ったんですけど、行ったら荷物は出てこないし、迎えに来ると言っていた人も来てくれないし、でも何をどう訴えたらいいかも分からなくて、呆然と立ち尽くしました。結局、遅れて迎えは来てくれて、近所のモーテルに泊まることになったというのが始まり。前途多難でしたね。

 

それがちょうど20歳の時。アメリカにいた9ヶ月間で思いっきり英語を勉強して、TOEFLの試験に通って大学に行けるようになったんですが、お金がなくなったのでまた日本に戻って来ました。それから3ヶ月間は、朝、日が昇るまで築地のトラックのお兄ちゃんをやって、日が昇ってきたらバイク急便をやって100万円を貯め、またアメリカに行きました。

 

アメリカでバイトをするという選択をしなかったのは、勉強をしに行っているのに、勉強以外の時間をアメリカで割きたくなかったから。だからお金は節約して、コーラを買う代わりに無料の水を飲んでいましたし、机や棚などの家具はダンボールで作っていました。この時、昔貧乏だった頃の経験が役に立ちました。手先が器用だったので、料理、裁縫となんでもできたので、サバイバルな生活をすることができたんですよね。

 

 

20代:戦争ジャーナリストに憧れ、世界中を旅する

板越

それから、アメリカだけではなく世界に行ってみようと思い、最初はグアテマラに行くことにしました。アメリカと日本を知っているだけではインターナショナルとはいえないなと思ったのと、当時誰かに「働き始めたら海外旅行に行けなくなるから、若いうちに行っておいた方がいいよ」と言われたからです。それでグアテマラに行き、3ヶ月スペイン語の留学をして、ロシア、イスラエル、チェコに各3〜4ヶ月くらい留学をしました。アメリカに比べると物価も生活費も安上がりで済んだんです。

 

当時の僕は、戦争ジャーナリストに憧れ、命を懸けるような仕事をしたいと思っていました。自分の命の強さを確かめたいと思い、当時一番やばいと言われていたところばかりに行っていたんです。国際社会で働きたかったので、ならば国際情勢の荒れているところ、今だったらシリアとかアフガニスタンとか、そういうところに実際に足を運んでおきたかったんですよね。チェコやロシアはちょうどソ連崩壊直後だったし、イスラエルは湾岸戦争直後だったりしました。

 

最近の話になりますが、僕は先月、仕事の関係でカシミヤの産地、新疆ウイグル自治区に行っていました。そこは一日に10回ぐらい検問にあったりするような場所だったんですが、これまでにいろんな経験をしてきたのでもう怖いものなんてなくなっちゃったんですよね。僕は冒険コンサルタントなんです(笑) トイレがなくっても、外で裸になって着替えないといけなくても、警察に捕まったとしても、変な奴が来ても、へっちゃらなんですよね。

 

大学時代のサバイバル経験や、ニューヨークで怖い目をみたし、時に戦わないといけないような所にもいました。僕は50歳になりましたけど、子どもの頃の経験というのは全部役に立ってるなって思うんですよね。浪人の時にもストイックに一日8〜12時間勉強していたから、今でもストイックに勉強することができます。たぶんこの1週間のスケジュールって普通の人の1ヶ月分ぐらいなんじゃないかって勝手に思っているんですけど、それでも倒れないのはこれまで自分を鍛えてきたからだろうなと思うんです。今日も朝からバリバリ全開で仕事をしていますし、夜もセミナーがあって懇親会があります。昨日も10時間以上フライトをしていますし、また10日後にはニューヨークに戻っています。今の板越ジョージがあるのは、これまでの全ての出来事やトレーニングが積み重なっているんです。

 

ーーーー

今回は、株式会社クラウドファンディング総合研究所 所長の板越 ジョージ氏にお話を伺いました。前編では、板越氏の人生経験を幼少期から伺って参りました。今回、板越氏のお話を伺って「全ての経験は、将来の糧になるということ」を学びました。
続いて後編では「苦労は買ってでもしなさい」というお話を伺っています。若い頃の経験というのは、本当に大事なんだなあ、と感じられますよ。後編はPILESGARAGE編集長の柴田が、板越氏に若者へのアドバイスを伺いました。ぜひお楽しみに。

 

▶︎ 株式会社クラウドファンディング総合研究所

株式会社クラウドファンディング総合研究所は日本初のクラウドファンディング専門の研究・調査及びコンサルティング会社です。

クラウドファンディングを通して一人でも多くの方が、自己実現ができるように支援活動をしていきたいと思っております。

HP:http://www.cf-ri.com/

 

記事:PILES GARAGE

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